齋藤拙堂顕彰会ホームページ

津市が誇る歴史上の人物「齋藤拙堂」の偉業を伝える

齋藤拙堂の業績

 拙堂の業績で特筆されるのが、自身の豊かな教養と広い視野に基づく藩校教育の充実と人材育成が挙げられます。
 古賀精里を師と仰ぎ、漢学者としての素養を基礎にしながらそれに縛られることなく、広く学問を吸収しようとした拙堂の姿勢は、そのまま藩校の教育方針にも生かされました。初代督学津坂東陽が示した「文武忠孝」の四字に集約される「国校四極」を藩校教育の基本理念として生徒の修養の目的とし、偏りのない有用な人材育成を目指しました。これに加え、外国から圧力が高まる世情に対応すべく、西洋の新知識の吸収にも積極的に取り組んでいます。拙堂は、藩校に洋学館を創設して蘭学者を招聘し、長崎に留学生を派遣して医学や化学を修学させ、藩校教育の充実と人材育成に力を注ぎました。
 また、藩校事業の大きな特色であった出版事業を積極的に進め、宋の司馬光編纂の歴史書『資治通鑑』をはじめ数々の「有造館版」の書物を世に送り出しました。この出版事業の成果は、その学問業績から津藩を「天下の文藩」として世に知らしめた大きな要因にもなりました。
 さて、優れた儒学者・文章家であった拙堂の評価を高めたのが数々の著作です。『士道要論』は、武士の倫理道徳を説いた著作で、江戸時代に入って長く続いた平和な世の中が本来の「武」の部分を忘れさせ、行政マン化していることに警鐘を鳴らし、武士として文武両道の重い責務を自覚させる内容となっています。
 また、『拙堂文話』は「良い文章」とはどのようなものかをはじめ、拙堂の文章論をまとめた著作で、具体的な名文を示しつつ文章を作るときに留意すべき点を挙げ、「意(意図・内容)」「気(作者の意気込み)」「辞(言葉)」の3つのバランスが優れていなければならないことを述べています。
 一方、現在の奈良市月ヶ瀬の梅の名所の風景を全国に知らしめた紀行文である『月瀬記勝』は、明治時代の中頃までのロングセラーとして読み継がれ、現在の"旅行ガイドブック"のさきがけとなり、毎年観梅の季節には多くの人々が訪れる梅の名所となりました。